たまには昔を思い出して今まで使ったデッキを思い出してみる
MTGを始めたのはミラージュ~テンペストの時期からで最初は資産もなく知識も無かったため緑単踏み荒らしデッキを使っていた
あの頃は無邪気だったな~(笑)

そしてテンペスト~ウルザで初めての大会に参加
その時のデッキはカウンターオースでしたが今思うと中身が結構ヒドかった記憶があります
それでも初めての大会で3-1-1といい成績だったのが結局今でもMTGをやっている理由なんだと思う
その後はプロキシーでMOMAを組んだりしたところでコンボデッキの素晴らしさに気づくも有用なデッキはなかなか組めず流動石の乱暴者+回れ右のコンボデッキやらを経由しつつヘイトレッドと青白コントロールも愛用
赤茶単→青茶単→ピットサイクルと以降していきました

ウルザ~マスクスでは続けてピットサイクルやたまにレベルなども使っていたのですがネメシスが出たあたりで第一次引退
ゲームぎゃざに名前が載ったのは喜んでいいことなのか(笑)
この頃まではインターネットが普及していなかったので色々なデッキがありました

復帰したのはインベイジョン~オデッセイの時で白黒コントロールで復帰1戦目の大会で2位になりこれで流れに乗り本気で復帰へ
オデッセイが出たすぐの頃は得意だった青白コンを使い、トーメント以降はトップメタのサイカトグとマッドネスを極力使わないようにしつつ黒コンを使用
雑誌で紹介される前に同様のデッキを組めたことで自分のレベルアップを感じる
スタンの大会に参加しながらGP札幌に参加するためにブロック構築を練習していたが栄光の能力を札幌に着くまで勘違いしていてパニッシャーホワイトを甘く見てしまう
マッドネスを使い、いい線までいくもパニッシャーホワイトに食われ、あと1勝が足りず予選敗退
このローテーションのころは北見の大会では全ての大会で上位に残る程調子がよかったです
この年初めて大会で優勝というのを経験しました
当時18才、あの頃は勝利に貪欲でした(笑)

オデッセイ~オンスロート期
この頃一緒に調整をしていたAir-king達が辞めてしまい一人で大会に参加していました
最初はゴブリンを使用していたもののなんとなく自分に合っていないような感じがしていたらスカージで精神の願望が作られ惚れ込む
頑張って実践レベルまで作り込むが完成直後にカイ・ブッディがもっと完成度の高いデッキを作っていてちょっとへこむ
結局、元の黒単に戻りサイカトグを食って勝ちを拾っていました
この頃にまたギャザ熱が冷めていったのか新しいデッキを作っていなかったはず

オンスロート~ミラディン期
マイアの保育器を見て即利用を考える
対戦ではほぼ負けていなかったはずだが確か大会では使用していないはず
その後親和を作って遊んでいたが大会がエクステンデットだったためマナの残響+ゴブリンの塹壕のコンボをサイクリングバーンに組み込み参加
この大会で第二次引退となる


まだかなり残っているけど終了
う~ん…長い!!
本当にただの日記でした(笑)

コメント

HAGGAR
2013年11月14日8:53

そこまで覚えている事が単純に凄いな。
俺はほとんど覚えて無いよ。
紅蓮術、祖先の仮面、停滞、NWO、アグロウォーター…
枚挙にいとまない。

エイリアン
2013年11月14日19:27

>>HAGGAR
思春期だったのもあるのかな??
実をいうとこの後くらいからは参加が少なかったのもあってあんまり覚えてないんだよね(汗)

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